立山カルデラの西部、湯川の河畔から湧出している温泉で、約60度の単純泉です。
 天正8年(1580)深見六郎右衛門により発見されたと伝えられています。薬効著しい温泉として地元の人に利用されてきましたが、本格的な開湯は安永年間(1770年ころ)といわれています。文化11年(1814)に温泉新道(原村から常願寺川左岸を通って温泉に至る)が開通してから温泉客が飛躍的に増加しました。
 安政5年(1858)の地震による鳶崩れのため、数十mの土砂に埋まり壊滅しました。このとき温泉小屋に泊まっていた30余人のきこり人夫が遭難しています。
 明治2年、深見家によって新しい泉源が発見され再興されました。以後立山登山が盛んになるにつれ、しだいに賑わいをみせるようになり昭和初期の全盛期を迎えました。夏の繁忙期には登山客、湯治客に砂防工事関係者も加わって、一日千人をこす人が宿泊したといいます。
 昭和44年の水害で交通が途絶し廃れました。現在、温泉小屋敷地跡に残る礎石の列や壊れた浴槽が往事の面影をとどめ、薬師堂跡には鳶崩れ遭難者の慰霊碑が建てられています。
 

 
立山温泉の泉源
 

 
安政五年地震遭難者供養塔
 
●水谷平 ●白岩砂防ダム ●六九谷 ●多枝原平 ●立山温泉 ●泥鰌池