MENU
治水・砂防ウオッチング
砂防事業のあらまし
砂防施設のいろいろ
常願寺川流域の砂防施設
 
歴史
治水と砂防にかかわった人々
立山カルデラ関係年表
安政の大洪水
 
 
 
 

 
 富山県の地形を見ると東・南・西と三方が高い山に囲まれ、山々に抱かれるように、大きな富山平野が広がっています。富山平野には周囲の高い山々を源とする黒部川、常願寺川、神通川、庄川などの大河川がいくつも流れ、全国有数の急流となって富山湾に注いでいます。富山平野の大部分はこれらの河川によってつくられた扇状地であり、豊かできれいな水に恵まれています。反面、このような地形から、恵みの河川も豪雨のたびに暴れ川となって土砂を下流に流し、氾濫を起こして住民に脅威を与え続けてきました。
 このため、洪水を防ぐための「治水工事」や山地からの土砂流出を防ぐための「砂防工事」が行政の中でも特に重視されてきました。富山県は明治初めころ石川県に属していましたが、治水をめぐる対立から明治16年(1883)に分県独立したといわれています。富山県にとっての治水・砂防は政治の最重要課題であったわけです。
 
 

●河川勾配の比較図 ●扇状地の分布
 

 
 山地では岩石の風化、侵食、山崩れ、地すべりなどによってたえず土砂が作り出され、豪雨のたびに流出しています。ときには荒れ狂う濁流となって下流に住む人々の暮らしを脅かすこともあります。この脅威を避け、自然の猛威を和らげ、コントロールするために、砂防事業はたゆみなく続けられています。
 


●崩壊続く立山カルデラ内部
 

次のページへ