立山大百科

      
 

 
 立山黒部アルペンルート(弥陀ヶ原台地)の南側に知られざるもう一つの立山ともいうべき「立山カルデラ」があります。周囲を切り立った断崖で囲まれ、容易に近づけないのであまり知られていませんが、中部山岳国立公園の一部です。
 立山カルデラは、東西約6.5km、南北約4.5km、標高差が500〜1700mもある巨大なくぼ地です。立山火山に食い込んだ谷が激しい侵食作用によって拡大してできた侵食カルデラといわれています。カルデラの内部は美しい弥陀ヶ原高原と全く異なり、荒々しい風景の崩壊地が目立ちます。これまで度々崩壊しては、内部に土砂をため、大雨の度にその土砂が下流域に流れ出して大きな災害をもたらしてきました。そのため、この中では、これまで1世紀もの間、砂防工事が進められています。
 一方で、こうした崩壊地にもそこに適応した動植物が生を営み、点在する池沼と共に荒れ地に潤いを与えています。また、カルデラ内の数カ所からは温泉が湧出し、戦前は立山温泉として湯治客や登山客、砂防関係者で賑わいました。
現在、立山カルデラは危険防止のため工事関係車両以外乗り入れ禁止となっています。
 
 


 かつて常願寺川は、立山カルデラから流出する土砂が原因で洪水氾濫を繰り返し「日本一の暴れ川」と呼ばれたことがあります。頻発する洪水にたまりかねた富山県は、明治39年に立山カルデラ内で砂防工事を始めましたが、自然の猛威の前になかなか工事がはかどらず、大正15年、国の直轄工事として立山砂防工事事務所に引き継がれることになったのです。
 以後70年、立山砂防の技術陣は幾多の困難と闘いながら、最高の技術を駆使して次々と砂防施設を完成させた結果、かつて富山平野を襲った悲惨な災害がなくなり、昔と比べれば明らかに県民が安心して生活できるようになったのです。日本一の暴れ川を制しただけあって、立山カルデラには日本の砂防技術を代表する施設が多く、砂防関係者から「砂防のメッカ」と呼ばれています。
 しかし、立山カルデラには今なお多重の不安定土砂が残っており、富山平野のより一層の安全をめざしてたゆみない砂防の努力が続けられているのです。
 
 
多枝原平の砂防施設群の平面図

 
                            
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