かつて常願寺川は、立山カルデラから流出する土砂が原因で洪水氾濫を繰り返し「日本一の暴れ川」と呼ばれたことがあります。頻発する洪水にたまりかねた富山県は、明治39年に立山カルデラ内で砂防工事を始めましたが、自然の猛威の前になかなか工事がはかどらず、大正15年、国の直轄工事として立山砂防工事事務所に引き継がれることになったのです。
 以後70年、立山砂防の技術陣は幾多の困難と闘いながら、最高の技術を駆使して次々と砂防施設を完成させた結果、かつて富山平野を襲った悲惨な災害がなくなり、昔と比べれば明らかに県民が安心して生活できるようになったのです。日本一の暴れ川を制しただけあって、立山カルデラには日本の砂防技術を代表する施設が多く、砂防関係者から「砂防のメッカ」と呼ばれています。
 しかし、立山カルデラには今なお多重の不安定土砂が残っており、富山平野のより一層の安全をめざしてたゆみない砂防の努力が続けられているのです。
 
 
●多枝原平の砂防施設平面図