安政5年(1858)2月26日(新暦4月9日)の大地震(飛越地震)は、跡津川断層ぞいの直下型地震で激烈を極め、推定規模マグニチュード7.1といわれています。この地震によって立山カルデラの南側にそびえていた大鳶山、小鳶山が大きく崩れ落ち、渓谷は4.1億立方メートルという膨大な土砂で埋め尽くされました。(鳶崩れ)湯川や真川もいたるところに泥水があふれ、立山温泉は崩れ落ちた土砂の下に深く埋まり、30余名がその下敷きとなったのです。さらに3月10日、第2、第3の大地震と土石流が追い打ちをかけ、ついに4月26日泥水湖が決壊し、大山を押し出したような大土石流が大音響とともに猛烈な勢いで富山平野に押し寄せました。溺死者140人、負傷者8千945人というさらに大きな被害をこの土石流がもたらしたのです。
 


●大鳶山抜絵図
 


●安政5年鳶山崩絵図●安政5年洪水被害域図
 


●安政5年洪水氾濫図
   
 

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